文字を書くという動作を伴う事で速やかな記憶が可能となる、という事と
しゃべるという動作を伴う事で語学の能力が上がったり、
英語を日本語へ翻訳する作業を文字を使ったりしゃべる事を伴ったりする事で、ヒアリングの能力がアップすると思うのは錯覚ではなく、
例えばスポーツをする人が、そのスポーツの映像を見る事で自分が運動や練習したのと同じ電気的信号が脳内で伝達されている、という事と同じ類いじゃないか?と思えてきたのだ。
言語の場合文字と音声という別の情報を共通の意味を現す物としてくくってセットで記憶出来てしまうのがスゴい事だったのだ。
が、音声と言っても発音やアクセントという物を母国語ではセットで記憶しているのだが、外国語ではすべて別々なのだ。
なので無意識の時間は発音の洗脳で使った方が効率的かもしれない。
特に眠い時や疲れた時、何の気力も無いとき程この手のセットの記憶が定着しやすいかもしれない。
具体的な英語力にはならないが、発音が違えば通じない物なので、無駄とはならない。
話が逸れた。
outputする事でヒアリング力が上がる、という語学の不思議を考えたかった。
outputはしゃべる以外にも、文字でoutputでも同じくヒアリング力が上がるのが面白い。