世界の車窓から~2004年のインド映像

近頃コルカタと言ってるのを聞いていたが、2001年まではカルカッタと呼ばれていた、と言っていて、知らなかった…。
ムンバイってどこの事だろう、と思ってたら旧ボンベイ、か。

山小屋でネパールの人がフレンドリーだったのでネパールの本を見てたら、インドと同じ文字を使っているらしいので、ヒンズーの本も借りてみた。

ヒンズー教は宗教というより生活法と書いてる本があった。
仏教より新しいらしくて、緩い感じか?
よく出てくるインドの色んな神様はヒンズーじゃないのか、

仏教が発生した頃元々あった神様が仏教とプラスされてるとか。
本によって違うのでよく分からない。

仏教自体全然分からない。そもそも仏教の発生したインドの文化は日本には全く浸透してこなかった事が不思議じゃないか。
仏教の国というワケでもないが、神様のことは全く知らない。
仏教の背景の文化も習わない、字すら読めない。
カレーはあったがインドカレー等日本には存在しなかった。
仏教は中国から来た漢字の宗教だがインドが発祥…小学生か中学生の時納得いかなかった。

どんな文化も独自の発展をさせる事が出来るのが日本の良い所なので、あまり考える必要もないか。

聖徳太子が仏教を日本へ受け入れるか考えたりしてた時期もあった様だ。
空海の趣味は書道と言われてて、漢字で書いた書は載ってたが、インドの文字を書くのが趣味だったと、今日見た本には書かれてた。

中国語へ訳されたやつを持ちかえったワケではなかったか、やはり。

サンスクリット語で書かれてるのも文字はヒンズーと同じらしいので、
インドで廃れてチベットへ持ち込まれた経典は、チベットで受け継がれていったらしいが、
チベット語へ訳されたもの以外残されていないとかで、チベットだと文字が違う。
訳されてるなら発音も違う。
でも大事なのは内容の正確さだったらしい。

とは言ってもサンスクリットの文字で日本のは受け継がれてるようだ。
発音も同じか、

でも文字自体が神様の文字という扱いだったらしい。インドで
文字は経典みたいなものを伝えるための物だったのかな、それ以外では言葉を残すという習慣が無かったとか、高貴な人以外習えなかったとか。

文字の始まりはそうでも現在も生活でも使われてる文字だ。
日本の言葉も歴史をたどると神様の言葉という事が書かれた本も見かけた。
で、インドから仏教、密教か、密教のお坊さんを通してインドの文字が日本で伝えられて来た、という事を知らなかった。お坊さんはどこかの国の変わった文字を書く人と思っても記憶には残らず、忘れていた。

お医者さんがドイツ語をスラスラ書いてるのも不思議だが記憶には残らず…。

で、日本へ伝えられているインドと同じ文字の曼陀羅の文字は独自の発展をしていて、それは仏様の文字で、ミックスした綴りで全然読み方が解読できそうもないが、覚える物な様だ。
でもそれはインドから伝わった文字の変化なのか、日本で発展した物なのか、

日本独自の発展でも良いと思う。

何で仏教がそれほど日本で発展してきたのかな、

密教は秘密なので密教なので、水面下で伝えられて来た物で?分かりにくい書き方をしていた、と空海も認識してた。分からない様日本へ経典を脱出させたという話だったと思う。

インドと比べてネパールもチベットも油断出来ない国だったと思う、インドは非暴力だが、ネパールは強盗が出たり、チベットはひどい、何でチベット語訳の仏教の経典を河口慧海は探してたんだろう、グロくて途中で読むの止めた。
以前もそこは読まなかったのかな。

チベットのは読みはじめて速攻止める事が殆どだ。

仏教はインド発祥なはずが、…

密教をおおっぴらにはしたくなかたのは、
力を悪用されないためではないか?

でもチベットのは悪い人の布教だったら?

お釈迦様が
奇跡とかを信仰するとは思えない、
私利私欲という小さい視点なら、資本主義で良いじゃないか、
でも逆に日本は資本主義で世界へ上りつめた頃は、私利私欲もなく無欲な仏教徒の国だったんじゃないか?

で、
文字の話だった。
日本にはお坊さんを通してインドの文字が浸透していたのが不思議、
日本にはつい最近までインドカレーが普及してなかったことが不思議。

今のインドはロサンゼルス位きれいだなと映像見て思った。
ボンベイは結構都会的で小綺麗だっがカルカッタは…
でも最近のカルカッタは当時のボンベイみたいじゃないか、





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